お酒のトラブルはあなただけでない

 

50代 男性 那覇市在住

 

 私は飲酒、飲酒運転の常習者でした。私がお酒を初めて口にしたのは中学生の時です。ビールは苦くて美味しいとは言えないくらいまずいものでしたが、日本酒は甘く飲みやすくまた一口で「さーふーふー」(ほろ酔い)の気分になり楽しかったのを憶えています。高校生になり酒を飲んでは、パトカーに追いかけられバイクで逃げ廻ったこともありました。もちろん飲酒運転です。20歳を過ぎた頃から晩酌するようになり私は、泡盛が飲めなくビールかウィスキー・バーボンを好んで飲んでいました。ある日空港で昼からビールを飲んでいるサラリーマンの姿を目にし「なんで昼から飲んでいるんだろう」と思いましたが私自身がもっとひどい事になるとは思いもしませんでした。

 数年後その日は突然でした。朝目が覚めると手が小刻みに振るえてビックリ!なぜ?当時、知識は、全くなく戸惑っていました。その日は手の振るえ、発汗、動悸に悩まされた一日でしたが仕事の終わりに「うたいのーしー」で一本の缶ビールを口にすると「あ〜ら不思議」ピタッと魔法のごとく止まったじゃあ〜りませんか。あんなに悩ませた手の振るえ、発汗が本当に止まったのです。それから朝酒になり、いかにバレないでビールを飲むか闘いが始まりました。朝、起きてから1本仕事に行く前に1本お昼に1本夕方仕事が終わったら本格的に飲むというふうになりました。酒の量が次第に増えていき、いつしかビールをコーラの缶に移し替え堂々と車のドリンクホルダーに置き飲みながら運転して仕事をしていました。幾日か過ぎたある日は小雨が降っていました。いつもの飲みながら運転をしていると前の車が急ブレーキ、私もブレーキを踏み車はすべって180°回転し止まりました。後ろに車は無く衝突までは行きませんでしたがあわや大事故に・・・車がひっくりかえっていたかもしれません。その時はドキドキしましたが、しばらくするといつもの通り飲みながら運転です。夜も車を運転してスナックへ行きウィスキー・バーボンを飲んで記憶を無くし車をどこの駐車場に止めたかわからなくなりやっと探して帰路へしかし途中前の車のテールランプ(ブレーキランプ)が4つに見えたり6つに見えたりハンドルにしがみつきながら帰ることもありました。翌日朝目が覚めるとまずは車の周りを点検して事故の形跡はないか、新聞をひろげ見てひき逃げなどはないか確認して胸を撫で下ろすこともありました。

 ここまでして飲酒運転するのかとお思いでしょうが酒を飲んで運転すると私は検挙されるわけない、事故も起こさないと思っていました。今思えば単に運が良かっただけなのです。検挙されないだけでブロック塀にバンパーをこすったり警察に届けなく逃げましたが駐車している車にぶつけたりは、ありました。幸い大きな事故はなく今があります。一歩間違えれば酒酔い運転で事故をおこし一生を償いにかえなければならない人生を歩んでいたかもしれません。悔やんでも悔やみ切れない人生だったかもしれません。10代から酒を飲み「ほろ酔い」を憶え楽しい酒、嬉しい酒、悲しい酒、さびしい酒、つらい酒と経験させてもらいそして酒を断つ事しか手段がなくなりました。今思い出しても酒を飲んでなぜ運転していたのかわかりません。検挙されるかもしれない、事故を起こすかもしれない。ゾッとします。これも酒の魔力ですね、それとも私のモラルの問題だったのでしょうか。アルコール依存症が隠れていたからでしょうかどちらにしても考えると今でも背中に冷たいのが流れるのを感じます。

 飲酒運転をしているのは自分だけじゃないと思っている人はたくさんいます。それはあなただけです。もうやめよ!大変なことになる前にと言ってあげて下さい。私は心配をかけた家族、迷惑をかけた人たち、そして社会へ償いの日

々を送りつつ、アドバイザー・インストラクターとして責任ある行動

をとって行きたいと思います。私が言うのも変ですが飲酒運転をしない、させないため今いる一人一人の声をうもれている人に届けてください。

「飲酒運転し〜ね〜ならんどー」とこれで私の体験談を終わりにします。

ありがとうございました。